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教養を身につけるということ

はじめに

職場の先生と話していて「今の学生は“教養”という共通言語がなくなってしまった。“教養”を身につける授業を整備したい」という話題になった。 この話そのものはゲーム科の学生が新しいゲームを作るに当たり、当然知っていて欲しい小説、映画、ドラマ、音楽・・・の知識があまりにも欠落しているから、それを補う授業が必要だ、という文脈で出てきたものだが、ゲームだけではなくて、技術者にもこれは当てはまる。

大学院生を追い抜く中学生

コンピュータ・インターネット・情報技術の劇的な進化により、ちょっと前までは考えられなかったようなことが、ほんのわずか勉強するだけで実現できるようになっている。「現代の魔術師」なる異名をもつ、落合陽一氏(筑波大学助教・メディアアーティスト)は、2016年9月7日開催のイベント「ICCカンファレンス KYOTO 2016 Session 1A「IoTやAIによって人間社会はどう変わるのか?」」*1の中で、『15歳の子供が5年前の修士論文レベルのことを実現できる』という話をしている。

(前略)

15歳の子供が5年前の修士論文レベルのことを実現できる
落合 最近、IoT関連で1番びっくりした出来事があります。
「未来をつくる「イノヴェイション・サマースクール」(WIRED × イノラボ × TechShop共催)を開催したのですが、ハードウェアをやって、ソフトウェアをやって、機械学習をやって、UXをやるという3日間で、計36時間ほどしか時間がありませんでした。
それでも、ワークショップの参加者である平均年齢15歳くらいの子たちが、ジェスチャー認識をして、デジタルファブリケーションで作ったモノに、行動認識をさせるところまで全員到達しました。
これはすごいことで、5年前までは、加速度センサーを使って機械学習させることは、修士論文のレベルでした。
つまり、今まで24歳で卒業してきた人たちが、今は15歳に負けてしまうんですね。 これはどうしてかと言いますと、インターネットの力によって、あらゆるソースコードがコピー出来るようになり、Microsoft Azureは小学生が扱える程度に簡単なインターフェースで出来ているからです。
つまり、今まで学んだ人は学び直さないとどうしようもないです。これは本当に正しいと思います。

(後略)

僅かの勉強、わずかの労力で、ほんの数年前まで研究レベルだったことが、ホビーで実現できる。それ自体は素晴らしいことであるし、それをきっかけに、プログラミングやモノ作りに興味を持つ人たちが増えれば、それはとてもうれしい。

古い技術=いらない技術ではない

その一方で、困ったこともある。「最新のツールを学びさえすれば、何でもできてしまう」ように錯覚してしまうのだ。

私は今、ゲーム学科とロボット学科の1年生を対象にプログラミングを教えているが、例えば今のゲーム業界であれば、Unity+C#が相当する。残念ながら私はまだどちらも直接触れたことがないのだが、Unityは素晴らしく機能豊富なライブラリだし、古典的なCに比べれば、オブジェクト指向も十分に成熟してから開発されたC#は生産性が高い。そこで困るのは、Unity+C#を学べば、ゲームが作れると思い込んでしまうことだ。

UnityやC++,C#を使いこなす学生から、「なぜUnityを学ぶ授業が開講されていないのか(選択授業にはあるが、通常カリキュラムには含まれていない)」「なぜCなどという古臭い言語を学ぶ必要があるのか」と学生に文句を言われたことがある。 しかしUnityに頼る製作者は、どれほど頭をひねっても、所詮Unityが決めた枠の中でしか作品を作れない。Unityは確かに便利だが、それが「ベスト・ソリューション(最前の解決法)」であるとは限らない。ベスト・ソリューションを見極めるためには、Unityがどのようにして動いているのか、Unityを使わない時はどう作ればいいのかという知識が不可欠になる。またC#やC++は生産性が高い反面、高いコンピュータ性能が求められる。PCゲームならそれでも良いが、家庭用ゲーム機のように、たとえ1バイトでもデータを削減し、マイコンやメモリの価格を0.1円単位で削るような組み込みプログラムでは、エンジニアが最後の最後まで細かな微調整を行えるC言語が未だに現役だ。そしてC言語を使って極限まで考え抜いたプログラムを作るためには、CPUの動作を深く理解する必要があり、さらに深堀りしていけば、アセンブラや論理回路・電子回路・数学の知識まで必要になってくる。

今ある便利なツールを、真に使いこなすためには、プロフェッショナルとして使いこなすためには、どんどん古い技術を学ぶ必要がある。昔の人はそれを良く知っていて、「温故知新」(故キヲ温メテ新シキヲ知ル)という素晴らしい言葉に凝縮している。

高度経済成長を経てメディアが発達した今、日本の文化もまた猛烈な勢いで変化するようになっている。昭和時代は、一人の歌手が5年、10年というスパンで愛され、2年以上にわたってヒットチャートに残る楽曲も多数あった。

が、今やヒットチャートは1年どころか週単位で様変わりし、先月デビューして話題になった歌手が今月はもう消えている、という事さえ起こる。よほど意識して情報収集しない限り、最新文化を漏らさず追い続けることなど不可能で、まして物好きでもなければ古典に目を向ける余裕などない。

だからこそ、意識して古典を学ぶ事に大きな意味がある。

教養とは会話の前提知識である

話を「教養」の話に戻そう。「教養」とはなんであるか、は色々と考え方があるだろうが、私なりに簡単にまとめれば「他人とコミュニケーションする時、互いに知っていて(了解していて)いることを前提とする知識(=会話の前提知識)」である。互いの持っている教養が合わないとコミュニケーションに支障をきたす。

狭い人間関係の中でだけ会話するならば、教養は少なくていい。特定の相手に合わせた教養さえ持っていればコミュニケーションが成立するからだ。学校の友達と会話するだけなら、同じくらいの年齢、同じような場所、同じような文化圏に暮らしているので、必要な教養=自分が持っている教養になる。そうそう教養不足で困ることはない。

ところが、高校生以上になって、アルバイトなどで大人と話す機会が増えたり、違う文化圏の人とコミュニケーションをとるようになると、意識的に学ばないと必要な教養は得られない。ある程度は学校の授業がサポートしてくれるとしても、学校が全てを教えてくれるわけではない。自分でどうにかして身につけないといけない。

センダチワアラマホシケレ

教養の話になると、絶対に思い出す思い出がある。

上の節題「センダチワアラマホシケレ」の意味はわかるだろうか。漢字にして、続きもつけると「先達はあらまほしけれ、仁和寺(にんなじ)にある法師」。徒然草(つれづれぐさ)第52段(詳しく知りたい人は後述)が元となったことわざのようなもので、「どんなことでも、先に行ったことのある人(経験者)はいてほしいものだ」と言う意味。お恥ずかしながら、私に古典文学の知識はあまりないのであるが、この言葉は父親から何度も話を聞いていて知っていた。ただ、知識としてはともかく、この言葉が実生活に役に立つ事はないと思っていた。

私の所属していたボランティア団体(調布パソコンサークル)は、毎年交流のために小旅行を行っていて、旅行幹事は毎年6名ほどが交代で選ばれる。私が幹事に選ばれたときは、私の提案で鎌倉を旅行することとなった。30名ほどの結構な人数が移動する旅行なので、良く準備しておかないといけない。散策コースの決定、時間割の決定、昼食場所の決定・予約などの準備をし、旅行の1週間前には幹事だけが集まって旅行当日と同じ時間割で行動する下見会を行った。(ちなみに、その下見会の日に私は寝坊してしまい、期せずして遅刻者対応のリハーサルまでバッチリ行えた、という皮肉な事となった。)そのおかげで旅行当日は大人数の移動にも関わらずスムーズに進行することができた。

長谷寺の喫茶室で休憩していた時、同席していた会員(調布パソコンサークルは元々「高齢者が高齢者にパソコンを教える」を目的に設立された団体なので、会員は皆私より20歳以上年上の人ばかり)の一人が私へ『幹事さんがよく準備してくれたから、今日の旅行はとてもスムーズで良いですね。』と言ってくれた。そこでピンときた私は、お返しに「先達はあらまほしけれ。」というと、同席していた人が全員声をそろえて『仁和寺にある法師!』と続けて大いに盛り上がった。父親から聞いていた徒然草の一節が、会話の役に経った瞬間だった。それと同時に、「あぁ、教養というのはこうして役に立つのか」と理解した瞬間であった。

古いものも新しいものも、知識には価値がある

言葉がなければ会話はできない。言葉があっても、知性と知識がなければ知的な会話はできない。知識は学校で教わる知識では全く足りない。自分から学ばなくてはいけない。最新の知識も古典の知識も、それぞれ違った大きな意味がある。そして知識(教養)があれば多くの人とより実のある会話ができ、さらなる知識を得ることができる。

学校を卒業して仕事を始めると、学校なんかよりはるかに多様な人と関わらなくてはならない。つまり、多くの教養が必要となる。ゲームでもスマホアプリでも、ヒット商品を作ろうと思ったら、まだ見たことも会ったこともない何万・何億の人のことを考え、想像してモノ作りをしなければならない。つまり、もっと多くの教養が必要となる。

人間なので、得意・不得意、好き・嫌いがあるのは仕方ない。それでもできるだけ幅広く、できるだけ深く知識を身につける努力を絶対に怠ってはならない。あきらめてしまったら、やめてしまったら、あなたの知性はそこで死ぬ。

補足 徒然草第52段*2

原文(吉田兼好 著)

仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

現代語訳(吾妻利秋 訳)

仁和寺に暮らしていたある坊さんは、老体になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、気が引けていた。ある日、思い立って、一人で歩いて参拝することにした。八幡宮の付属品である、極楽寺と高良神社だけ拝んで「これで思いは遂げました」と思いこみ「八幡宮はこれだけか」と、山頂の本殿を拝まずに退散した。
 帰ってから、友達に「前から思っていた事を、ついにやり遂げました。これまた、噂以上にハラショーなものでした。しかし、お参りしている方々が、みんな登山をなさっていたから、山の上でイベントでもあったのでしょうか? 行ってみたかったのですが、今回は参拝が目的だったので、余計な事はやめておこうと、山頂は見てこなかったのです」と語った。
 どんな些細なことでも、案内がほしいという教訓である。

さらに説明

仁和寺(http://www.ninnaji.or.jp/)は、仁和4年(西暦888年)に建立された、非常に由緒あるお寺です。また石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう http://www.iwashimizu.or.jp/)は貞観2(860)年に創建された、こちらも由緒ある神社です。

仁和寺のお坊さんが、今まで行ったことのない石清水八幡宮を拝もうと思い立ち、老体ながら頑張って出かけて行った。仁和寺があるのは京都府右京区、石清水八幡宮があるのは京都府八幡市。自動車も電車も存在しない頃の話なので、移動手段は徒歩。Googlemapで見てみると徒歩で移動すると片道4時間の道のり*3。(途中に桂川があるので舟を使った可能性もなくはないが)

石清水八幡宮の本殿は山の上にあるのだが、それを知らない仁和寺のお坊さんは、人々が山の上に登って行くのを「なぜだろう?」と思いながらも、誰に質問するでもなく山の下の方だけを見て帰ってきてしまった。

仁和寺の偉いお坊さんであっても、ちょっと勇気を出して質問して、石清水八幡宮に詳しくて、案内をしてくれる人を探せば、むざむざと本殿を見逃すこともなかったのに。と言うお話し。


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