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「レファレンス能力」と「検索力」

CD屋のおじさんと、図書館司書の関係

今朝、たまたまこの記事に出会い、とても心を動かされた。

『子供のとき「たった一つのフレーズしか憶えていない曲」を求めて、CD屋さんを回った話。』 https://blog.tinect.jp/?p=68876

タイトルの通り、極めてうろ覚えで断片的な情報から、探し求めていた曲を、とあるCD屋のおじさんが見事引き当ててくれたという話だが、大切なのは後半部(というかほとんど終わりの方)。CDを見つけた経験から、筆者は図書館司書の調査(専門的にはレファレンスという)能力に話を向ける。

最後の、締めの段落にある言葉が素敵なのでそのまま引用する。

司書さんがすごいという以上にぼくが祝福したいのは、そんな一握りのうろ覚えな記憶を元に、「けれどこの本が読みたい」と思って図書館を訪れた訪問客の方だ。

かつてのぼくのように、彼ら、あるいは彼女らも、ほんの一筋の記憶を辿って素敵な本に出会えたのだろうと、その出会いが幸福なものであることを心から思う。

この世の全ての「コンテンツとの出会い」が、そのきっかけに関わらず幸せなものでありますように。

記事で触れられている、福井県立図書館の『覚え違いタイトル集』は初見だったが、これと似たような、全国の図書館に寄せられた調査依頼とその結果をまとめた「レファレンス協同データベース」は、Twitterのボットが時々お知らせを送ってくれるので、目にすると読んでいる。

福井県立図書館『覚え違いタイトル集』https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/category/shiraberu/368.html
『レファレンス協同データベース』https://crd.ndl.go.jp/reference/
『レファレンったー』https://twitter.com/referentter (止まってしまっているっぽい)
『レファ協bot』https://twitter.com/refbot

全国の図書館司書が知識と工夫を駆使して利用者の問い合わせに応えた、いわば奮闘集で、眺めていてとても面白い。(本来は司書が参考にするためのデータベースなので、軽々しく面白いとか言ってはいけないのかもしれないが…)

「レファレンス能力」と「検索力」

そして私はこの記事を読んで、「検索力」について考えた。

先日学生が、とあるプログラムのライブラリを使おうとして(プログラムを知らない人はライブラリ=便利機能集と簡単に思ってください)『ネットで調べているけれど、ライブラリの使い方がわかりません』と聞いてきた。そのライブラリは昔からある有名なライブラリであるけれど、私も使ったことがないため即アドバイスはできなかった。

そこで私はブラウザを開いてGoogleを開いて調べてみみた。なるほど確かに、日本語の資料が少なく英語の資料ばかりヒットする上、長く使われているライブラリであるために古すぎる情報がかなり混ざってヒットするため、使える情報を見つけるのはちょっと難しそうだった。そこで、この手のライブラリなら最新情報を載せた公式サイトが必ず存在するはずと考え、そのライブラリをWikipediaで調べると、関連リンクにライブラリ公式ページへのリンクがあって、公式ページから最新の解説資料(しかも日本語版があった)を見つけることができた。さっそくそのURLを学生に渡してあげると、10分足らずで調べ終わったことに学生が驚いていた。

このように、学生が見つけられないと嘆いている情報を、私がひょいと見つけられるという事は結構ある。理由はいくつかあるが、大きく分けると「(そもそもの)知識」と「経験」が大事なように思う。

  • (そもそもの)知識
    • 調べたいことの「周辺領域」の知識・関連用語をどれだけ知っているか
    • そのものずばりの検索キーワードで見つけられない時、求める情報に近づきそうな関連語をいかに適切に・多く見つけられるか
    • その他
  • 経験
    • Google検索に全て頼るのではなく、適切な情報が集約されている場所を知っているか(英語なら英辞郎などの辞書サイトとか、法律なら法令データベースとか)
    • 日本語だけでなく、英語(場合によっては他の言語)での検索を試みているか
    • 検索式(ANDとかORとかNOTとか)による検索や、期間を指定した検索などのテクニックを知っているか
    • その他

「検索力」の源

私は96年頃からパソコン通信・インターネットを使っていたので、ひたすら文字の海を泳いで情報を仕入れるパソコン通信の世界も知っているし、Googleが登場する前、各社が独自に検索サービスを提供していた頃は調べたい内容に応じて検索エンジンを使い分けたり、専門のリンク集を駆使して情報を集めていた。そのころからの経験が今に活きている。

では、「(そもそもの)知識」と「経験」が「検索力」の源とするならば、若くて知識も経験も浅い学生は「検索力」を鍛えらえないのだろうか。

私の考える答えはNOで、さらに大事な条件として「答えを知りたいと思う熱量」が大事なのではと思う。

先に紹介した記事に出てきたCD屋のおじさんも、全国で奮闘する図書館の司書も、そこには「困っているお客さん(利用者)を助けてあげたい」という熱量(気持ち)がある。そのために普段から知識を蓄え、経験を蓄えて、困ったお客さん(利用者)が来た時に、いつでも最大限期待に応えられるような準備をしている。お客さん(利用者)の困りごとを解決するエネルギーは、司書やおじさんの熱量(気持ちである。

ところが、ネットで検索する場合はどうか。わからないことがあって困っているのは自分だし、それを検索するのもまた自分である。だからお客さん(利用者)の困りごとを解決するエネルギーは、自分で供給するしかない。Googleは入力したキーワードをアルゴリズムに従って調べるだけで、そこに「利用者の期待に応えようという熱量」はないから、エネルギー源にはならない。

「調べたい」「知りたい」「わかりたい」という気持ちこそが、根本的な「検索力」の源(みなもと)、エネルギー源ではなかろうか。

さてそれならば、どうやって学生に「検索力」の源(みなもと)を備えてもらうか…これがなかなか難しくて困ってしまうのだけれども。


現在ご覧のページの最終更新日時は2021/02/08 00:55:20です。

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