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Matsuri

「マツリ」入門

はじめに

学校の授業のために「祭り」の文化論的な意味や役割についてまとめる必要が出てきまして(そもそも私はプログラムや電子回路を教える教員だったはずなのですが…(笑))、都市祭礼を専門とする知人の民俗学者(市東 真一 博士)に色々と教えて頂いたところ、とても面白い内容だったのでシェアしようと思います。

資料編

マツリとは

「マツリ」は一般的に「祭り」と書くが、これは元々「祀り(祀る)」や「奉り(奉る)」が変化したものである。

「祭り」
いわゆるイベントとしての「マツリ」
「祀り(祀る)」
儀式をととのえて神霊をなぐさめ、祈願する・安置する。
「奉り(奉る)」
上位の者に物を差し上げる、献上する。(奉納)

英語では

日本語であいまいな概念が、他の言語だと明確に分類されているのはよくある事。英語の場合、以下のような使い分けがある。

Festival
祝祭・祭典・饗宴
Ceremony
厳粛な儀式、式典(特別な時に行う)
Ritual
(主に定期的に行う)宗教儀式

その他関連語としてFiesta、Carnival、Jamboree、Galaなどがある。

祭りの役割と変化

日本は農耕文化
ムラとカミ

共同で作物を作ったり採取して生活する人・家が集まって「ムラ」を作る(現在で言う(市区町村の)「村」とは意味がちょっと違う)。

作物の成長や採れ高は、天気や運に左右される。時には不作になる⇒人の力を超えた存在「カミ」が考えられる。

カミをマツル

「カミ」を大事にするための儀式が生まれる。

  • 農作業を始める前に「カミ」を迎える儀式
  • 季節の節目に「カミ」を祝福する儀式
  • 1年の締めくくりに「収穫の祝い」をする儀式
これら「カミ」に対する儀式を毎年繰り返す行為=「マツル」(祭る,祀る)
【1.神への儀式・宗教儀式としての「祭り」】
文化共同体としての「ムラ」

元々の「ムラ」は親戚が集まって共同生活をする場=「血縁関係」による共同体。 徐々に人々が「移住」するようになると、よそ者が入る事で「ムラ」は血縁関係による共同体でなくなる。

同じ「カミ」を「マツル」者の集まり=「ムラ」に変化していく.
【2.人々の結びつき,共同体を作るための「祭り」】
「ムラ」から「イチ」「町」「都市」へ

地産地消の農業だけでなく、商人による物流が生まれ、加工物を作る職人が登場すると、「イチ」(市場)が生まれる。

人々の出入りが激しくなり、イチを中心に集落が大きくなってくると町が生まれ、さらに大きくなると都市が生まれる。⇒従来の,農作業のための「カミ」や「マツリ」が影響力を失ってくる

「町・都市」に生まれた祭り(都市の祭礼)

マツリの対象が農業(豊作)ではなく、流行り病の退散など、町に合わせた内容に変化する。

そして「ケンブツ」が発生する(柳田国男)。従来の「(ムラ)マツリ」は,カミと住人だけが参加する厳粛な儀式(よそ者排除)だが、都市祭礼はよそ者を排除しない。その結果、マツリを「スル」集団と外から「ミル」集団が同時発生する(=柳田はこれを「ケンブツ」と呼んだ)

ケンブツが発生することにより,町ごとに競ってマツリを派手に,大きくする傾向が生じる。これを民俗学用語で「風流(ふうりゅう・ふりゅう)」という。(現代語の風流(ふうりゅう)とは意味が異なるので注意)。マツリをできるだけ立派にし、派手にすることで盛大に流行り病を追い払ってしまおうとする。

見に来る人を意識し,盛大・にぎやかに行うイベント
【3.賑わいを作るための,催しとしての「祭り」】
現在の都市マツリ

明治維新から戦後にかけて近代的な社会が発展すると、もはや「カミ」の考え方は機能しなくなってくる。

現代の祭りは「遠心力」で結びつく都市マツリ(松平誠)とされる。すなわち、ひとときの「非日常」を楽しむために群れて集まり、ひとたびマツリが終わればまた解散して二度と会わない(かもしれない)関係性によって成り立つ。

かつては

マツリ
毎年儀式として繰り返すもの
イベント
毎度違う趣向で楽しませるもの

という区別があったが,現代ではその区別があいまいになりつつある。

一過性の,その時限りの楽しみを共有する
【4.イベントとしての「祭り」】
まとめ

整理すると、祭りの意味には大きく4つの側面がある。

  1. 神への儀式・宗教儀式としての「祭り」
  2. 人々の結びつき,共同体を作るための「祭り」
  3. 賑わいを作るための,催しとしての「祭り」
  4. イベントとしての「祭り」

考えてみよう

ワーク1:祭りの役割

自分たちの身の回りにある「祭り」は,1.~4.のうちどの役割を果たしていますか? 役割は一つとは限らないし、もしかするとどの役割にも当てはまらないものがあるかもしれません。

ワーク2:祭りじゃない祭り?
祭りの機能1.~4.
のうち1つ以上を
備えた催し
祭りの機能1.~4.
をどれも
備えない催し
祭り・フェスティバル等と
名前がついて「いる」
A:(明示的な)祭り B:祭りもどき
祭り・フェスティバル等と
名前がついて「いない」
C:(かくれた)祭り D:祭りではない

上の表でいうB,Cに相当する「マツリ」の事例はあるだろうか?考えてみましょう。

ディスカッション編

資料案を市東氏に送って内容をチェックして頂いた時の会話です。実際の会話から、文意を損なわない程度に短く整理しています。(以下、下線部が市東氏の発言)

風流について

民俗学だと見物人を意識して祭りや芸能が派手に風流(ふりゅう)といいますので、ケンブツのところを風流にしていただけましたら幸いです。

「ケンブツ」というのは柳田の言葉で、一般的な民俗学用語としては風流が適切という事ですね。

柳田は風流の概念を提示したので、ある意味ケンブツと風流の両方をだしていますね。ただ、芸能の演目でいう風流と民俗学の風流は少し異なっています。民俗学でいう風流は「観客を意識した流行り物のにぎやかし」みたいな感じですね。

「スル/ミル」の分離が起こることが「ケンブツ」、その状況を前提に「スル」側の賑やかしが派手になっていく現象(行為)が風流、という所でしょうか。

そうです!

祭りもどきについて

ついでにもう一点いいでしょうか。学生に考えるトレーニングをしてもらうために、資料の中で「B:祭りもどき」というのを便宜上作りましたが、実際これに該当するような事例はあるんでしょうか。「C:(かくれた)祭り」の事例はいくらでもあるのですが…

変な話、これに該当するのはヤマザキ春のパン祭りですね。その他に、チェーン店やインターネットとかの「○○祭」となのつくキャンペーンとかが当たります。
これからは、祭=ハレの日=非日常=特別な期間ということで一種のキャンペーンを祭りに見立てる事例はありますね。あと、インターネットでいう「祭り」もこれに当たりますね。

あぁ、なるほど。そもそも祭りというのは、物理的な意味で人が集まって何かをすることが前提ですから、人が集まっているわけでもないのに、単に期間限定で商品がもらえるイベントに「パン祭り」と言ったり、お店の安売りを「感謝祭」といったり、ネットでなんかバズることを「祭り」と表現するのはごく近代の新しい用法なわけですね。
民俗学的な意味での「祭り」にはあたらないが、時代が変化している以上、今後は「祭り」の定義を「非日常」に軸足を置いて考えていく可能性もあると。

その通りです!やはり、民俗学だと祭=神事とかに偏りがちでそうでないものは研究対象ではないという意見もありましたが、それではいつまでも過去に囚われてしまいますね…

インターネットと祭り

ある意味、アマビエはインターネットの祭りから誕生した神って考え方もできますね。

いやー、本当に面白い!こういう、何気なく過ごしていると見過ごしそうな事を追及して考えられるのは面白いなぁと思います。

そう言っていただけますと、民俗学を研究している身としてはとても嬉しいです!

逆に考えれば、YoutubeとかTwitterウケを狙って過剰な行動をしてしまうのは、悪い意味で現代化された「風流」ですね…

そうなんですよ、風流の概念はインターネット文化にも通用すると思います。明らかにインスタ映えなんて、もろ風流ですね。

神を大事にするために祭りがある⇒祭りの中心にあるものが神
と考えると、ファンがたくさんいる上手いイラストレータを「神絵師」とか表現するのは、あながち文化論的にも間違っていないわけだ…宗教論的には危険な香りのする表現なので論争が起きそうですね(笑

ですね、基本的に神道や民間信仰では神=人外って認識なんで、神絵師=人外の技術を持つ絵師ってことですね。 あと、実は差別用語の非人も中世までは神聖な人たちって意味があったんですよ。江戸時代の社会構造でアウトカーストになってしまったんですがね…ある意味、宗教的な神と日常的に言葉として使っている神は全然違うのかもしれませんね。

特に日本は八百万の神の国ですから、何でもかんでも神になりえますものね。英語圏で"Oh my god!”を避けようとするのと対照的です。

やっぱり、多神教と一神教の違いなじゃないかなぁと思います。 それと最近、アマビエを配りはじめて感じたのは祭りという行為自体が、実は神を作り出しているんじゃないかなぁいうことですね。 祭りと神という存在同士がお互いに支え合って両方の存在が成立できている感じですね…

神様の存在とか神様のご加護を再確認する儀式ですからね。

参考文献

本資料は、市東氏に教えて頂いた以下の資料をベースに作成しました。

  • 松平誠『祭りのゆくえ―都市祝祭新論』(中央公論新社,2008)

また、私自身はまだ入手・閲覧はできておりませんが、以下の資料も教えて頂きました。

  • 松平誠『現代ニッポン祭り考―都市祭りの伝統を創る人びと』(小学館,1994)
  • 宮本常一『都市と祭りと民俗』(慶友社、1961)

現在ご覧のページの最終更新日時は2021/03/21 17:45:42です。

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