N.Y.Cityのまちかど
Matsuri
「マツリ」入門
はじめに
学校の授業のために「祭り」の文化論的な意味や役割についてまとめる必要が出てきまして(そもそも私はプログラムや電子回路を教える教員だったはずなのですが…(笑))、都市祭礼を専門とする知人の民俗学者(市東 真一 博士)に色々と教えて頂いたところ、とても面白い内容だったのでシェアしようと思います。
資料編
マツリとは
「マツリ」は一般的に「祭り」と書くが、これは元々「祀り(祀る)」や「奉り(奉る)」が変化したものである。
- 「祭り」
- いわゆるイベントとしての「マツリ」
- 「祀り(祀る)」
- 儀式をととのえて神霊をなぐさめ、祈願する・安置する。
- 「奉り(奉る)」
- 上位の者に物を差し上げる、献上する。(奉納)
英語では
日本語であいまいな概念が、他の言語だと明確に分類されているのはよくある事。英語の場合、以下のような使い分けがある。
- Festival
- 祝祭・祭典・饗宴
- Ceremony
- 厳粛な儀式、式典(特別な時に行う)
- Ritual
- (主に定期的に行う)宗教儀式
その他関連語としてFiesta、Carnival、Jamboree、Galaなどがある。
祭りの役割と変化
文化共同体としての「ムラ」
元々の「ムラ」は親戚が集まって共同生活をする場=「血縁関係」による共同体。 徐々に人々が「移住」するようになると、よそ者が入る事で「ムラ」は血縁関係による共同体でなくなる。
【2.人々の結びつき,共同体を作るための「祭り」】
「ムラ」から「イチ」「町」「都市」へ
地産地消の農業だけでなく、商人による物流が生まれ、加工物を作る職人が登場すると、「イチ」(市場)が生まれる。
人々の出入りが激しくなり、イチを中心に集落が大きくなってくると町が生まれ、さらに大きくなると都市が生まれる。⇒従来の,農作業のための「カミ」や「マツリ」が影響力を失ってくる
「町・都市」に生まれた祭り(都市の祭礼)
マツリの対象が農業(豊作)ではなく、流行り病の退散など、町に合わせた内容に変化する。
そして「ケンブツ」が発生する(柳田国男)。従来の「(ムラ)マツリ」は,カミと住人だけが参加する厳粛な儀式(よそ者排除)だが、都市祭礼はよそ者を排除しない。その結果、マツリを「スル」集団と外から「ミル」集団が同時発生する(=柳田はこれを「ケンブツ」と呼んだ)
ケンブツが発生することにより,町ごとに競ってマツリを派手に,大きくする傾向が生じる。これを民俗学用語で「風流(ふうりゅう・ふりゅう)」という。(現代語の風流(ふうりゅう)とは意味が異なるので注意)。マツリをできるだけ立派にし、派手にすることで盛大に流行り病を追い払ってしまおうとする。
【3.賑わいを作るための,催しとしての「祭り」】
ディスカッション編
資料案を市東氏に送って内容をチェックして頂いた時の会話です。実際の会話から、文意を損なわない程度に短く整理しています。(以下、下線部が市東氏の発言)
風流について
「ケンブツ」というのは柳田の言葉で、一般的な民俗学用語としては風流が適切という事ですね。
「スル/ミル」の分離が起こることが「ケンブツ」、その状況を前提に「スル」側の賑やかしが派手になっていく現象(行為)が風流、という所でしょうか。
祭りもどきについて
ついでにもう一点いいでしょうか。学生に考えるトレーニングをしてもらうために、資料の中で「B:祭りもどき」というのを便宜上作りましたが、実際これに該当するような事例はあるんでしょうか。「C:(かくれた)祭り」の事例はいくらでもあるのですが…
これからは、祭=ハレの日=非日常=特別な期間ということで一種のキャンペーンを祭りに見立てる事例はありますね。あと、インターネットでいう「祭り」もこれに当たりますね。
あぁ、なるほど。そもそも祭りというのは、物理的な意味で人が集まって何かをすることが前提ですから、人が集まっているわけでもないのに、単に期間限定で商品がもらえるイベントに「パン祭り」と言ったり、お店の安売りを「感謝祭」といったり、ネットでなんかバズることを「祭り」と表現するのはごく近代の新しい用法なわけですね。
民俗学的な意味での「祭り」にはあたらないが、時代が変化している以上、今後は「祭り」の定義を「非日常」に軸足を置いて考えていく可能性もあると。
インターネットと祭り
いやー、本当に面白い!こういう、何気なく過ごしていると見過ごしそうな事を追及して考えられるのは面白いなぁと思います。
逆に考えれば、YoutubeとかTwitterウケを狙って過剰な行動をしてしまうのは、悪い意味で現代化された「風流」ですね…
神を大事にするために祭りがある⇒祭りの中心にあるものが神
と考えると、ファンがたくさんいる上手いイラストレータを「神絵師」とか表現するのは、あながち文化論的にも間違っていないわけだ…宗教論的には危険な香りのする表現なので論争が起きそうですね(笑
特に日本は八百万の神の国ですから、何でもかんでも神になりえますものね。英語圏で"Oh my god!”を避けようとするのと対照的です。
神様の存在とか神様のご加護を再確認する儀式ですからね。
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