N.Y.Cityのまちかど

Let's Listen about Justice

これからの「正義」の話を“聞こう”

はじめに

米国ハーバード大が貫いてきた「授業は学生のためのものだから非公開」というポリシーを曲げ、史上初めてテレビカメラを招き入れたマイケル・サンデル教授の講義「Justice(正義)」。 その日本語版がNHKで放映され、大変話題を集めました。

そのサンデル教授の来日公演(第15回ハヤカワ国際フォーラム「マイケル・サンデル教授特別講義・日本版」)があるということで、参加してまいりました。

なお、タイトルはサンデル教授の講義を書籍化した本の邦題『これからの「正義」の話をしよう』をもじったものです。

日時・会場

2010年08月27日 18時半開場、会場は「アカデミーヒルズ タワーホール」(六本木ヒルズ森タワー)

キャパシティは約500人。座席は満席。報道陣も多数。

講演は英語だが、日英同時通訳付き。座席には通訳のレシーバーが置かれ、日本語と英語の両方が配信されていた。

講演内容

(講演を聞きながら私がとったメモに基づいた内容骨子です。)

正義に関する3つの哲学思想

  • 幸福の最大化
    • イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムによる
  • 人間の尊厳・自立の尊重
    • ドイツの哲学者イマヌエル・カントによる
  • 美徳の尊重
    • 古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる

今日の講演で目指すこと

日常における生活で遭遇する例から、次の2点について考える

  1. 市場の適切な役割
    • 市場原理に道徳的な限りはあるのか
  2. バイオテクノロジー・遺伝子工学
    • 新技術が抱える難しい倫理問題

1.市場原理

ダフ屋の存在

マドンナのコンサート、ボストンレッドソックスの試合…など、手に入れにくいチケットを入手し、高い金額で転売するダフ屋が存在する。

この講演(マイケル・サンデル教授特別講義・日本版)の入場券も、インターネットオークションで入札されていた。直前に調べたデータでは5万円の値でオファーされていたという(ちなみに正規入場料は無料)。

このダフ屋行為について、会場にその行為の是非を聞くと、賛成・反対が約半々だった。
中国での例

中国の大都市では医師が不足し、需要過多状態。病院には大行列ができている。この列は診察待ちの列ではなく、「診察を受けるためのアポイントを取得する整理券」を求める列。特に著名な専門医の場合、この整理券をもらうためだけに時には数日間泊まり込みで並ぶ必要もあるという。

これに目を付け、ホームレスを雇って列に並ばせて整理券を取得し、オークションで転売するビジネスを始めた人がいた。

このビジネスの是非を会場に問うと、多数の人がこのビジネスに反対だった。
  • 賛成:売り手と買い手に自由な合意があれば売買は許されるのでは?
  • 反対」ダフ屋と購入者の間ではフェアトレードであっても、その他変えない人との間ではアンフェアである。
  • 賛成:「(並ぶ)時間を費やす代わりにお金を払う」という選択肢を増やしていることにもなっている。自分もお金をもうけるか、人を雇う工夫をすればトレードに参加できる。
  • 反対:貧しい人はそもそもお金を手に入れられる環境にない。努力してもお金は手に入らない。
  • コンサートのような娯楽ならともかく、医療に対してダフ屋行為は許されないのでは。
フロアとの議論で出てきた3つのポイント
  • 選択の自由の尊重
  • 公平性の検討
    • これらは「自ら決める意義」を尊重したカントの思想につながる。
  • 取引しているものの区別(娯楽か、医療化)・「財の性格」を考慮する
    • これはアリストテレスの思想につながる。
アメリカでの例

アメリカでも、一部では医師の診察を受けるために長時間待たなければならないところが出てきている。

それに対応する形で、ここ数年間の間に登場した新しい医師の業務方式として「コンシェルジュ・ドクター」がある。コンシェルジュドクターは「年間契約を結んだごく少数(20~30人程度)の限られた人」だけを診察する。年間契約費は5000ドル。契約者は待ち時間なしにすぐ診察を受けられ、医師に直接通じる携帯電話の番号も渡される。

フロアの意見は、賛否分かれた。

これも原理的にはダフ屋と同じ行為ではなかろうか?

私立高校の例

ある大変学力レベルの高い私立高校。成績はそこそこ良いが、その高校に入るには少し不安のある受験生がいる。その親が、高校へ2000万ドルの寄付を申し入れてきた。

その受験生を合格させ(定員枠は限られているから、その分誰か本来合格できたはずの一人が落ちることになる)れば、2000万ドルの寄付を元手に、学校設備の大幅な拡充ができ、生徒全員がその恩恵を受けられる。あるいは、その資金を使って定員の拡充もできる。(この場合、裏口入学のあおりをうけて不合格となる一人を差し引いてもなお、奥の生徒を受け入れることができるようになる)。

この時、学校は裏口入学を認めるべきなのか、認めないべきなのか。

  • 受け入れるべき:寄付を受けることで学校設備が整い、定員が増えるならば全体の利益は高い。
  • 受け入れないべき:寄付を受けたとしても、その恩恵がすぐに学校に反映されるとは限らない。従ってその恩恵を今年受験する受験生たちが受けられる補償はなく、不公平である。
  • 受け入れないべき:学校は純粋に成績によって、入学者を選抜するべきである。
受験の公平性

日本の統計調査によれば、親の収入が高い人ほど、その子供は良い学校へ進学している傾向がみられる。これを踏まえれば、入学試験そのものが公平であっても、それ以前の学力獲得の段階で、親の収入が影響していることになる。

そう考えると、「親がお金を持っているから裏口入学で良い学校に入学した」をアンフェアだとして寄付を断ったとしても、入学試験制度そのものに、すでに「親がお金を持っているから高い学力が身に着き、良い学校に入学した」という不公平が存在することになる。

2.バイオテクノロジー

(議論が白熱し、メモが取りきれていないので覚えている限り)

バイオテクノロジーの発展により、産まれてくる子供の性別を生まれる前に調べ、確実に男女の産み分けをすることが可能になっている。この男女産み分けに対する倫理的問題は?

  • 方法1:着床し、子宮で育ち始めた子どもの性別を超音波検査によって調べ、望まない性別だった場合に人工妊娠中絶を行う方法
    • まず、人工妊娠中絶そのものが「殺人行為である」とする見方がある。従って、殺人はするべきではないという倫理的理由からこの方法を否定する意見がある。
  • 方法2:胚になる前、まだ細胞分裂をしていない状態の受精卵に対して検査を行い、性別を判定する方法
    • 方法1に対する「人間の人格」がどの段階で発生するととらえるかによって議論が分かれる。人によってはこの方法も「殺人」であると主張する。
  • 方法3:受精する前の精子を検査し、男性染色体・女性染色体をもつものに分離して、希望する性別となるような精子を卵子に受精させる方法
    • 実際にこの方法を用いたビジネスを行っている会社がある。
    • 受精前の状態なので、これを「殺人」と言うことはできない。この手法を提示してもなお男女の産み分けを否定するならば、殺人とは違う根拠を示す必要がある。
フロアの議論は白熱したが、時間(または進行)の都合上、反対意見に発言が偏った。
  • 反対:(医師の方)反対理由は2つ、1つは上述の方法1、方法2は「殺人」だと思っていること、(従って技術的には方法3なら許す)もう1つは、人の生命のあり方に人間が直接手を下すわけではないと信じていること
  • 反対:「男性ばかりを作って、軍隊を組織する」などといったビジネスが可能になってしまう。
  • 部分的賛成:男女比が偏ってしまうような濫用は避けられるべきだが、すでに一人っ子政策などの影響で男女比がおかしくなっている国がある。この傾向が今後も進んでいくことも考えられるので、それを補正する技術は確保しておくべき。

男女の産み分けは現在すでに実用段階に入っているが、将来的には容姿・スポーツの才能・音楽の才能などに長けた人間を産むことができるようになる(いわゆるDesigned Baby)。優秀な人間を増やすことができるならば、社会に優秀な人間が増え、全体の利益につながるという考え方もあるがどうか?

  • 反対:子どもの人生のあれこれに親が必要以上に干渉すべきでない。スポーツに長けた子どもを産んだら、その子どもには「スポーツ選手になれ」という親の圧力が常にかかってしまう。

講演終了

講演終了後は、盛大な拍手・スタンディンブオベーションで締めくくられた。

個人的意見

会場では発言できなかったので、私見をまとめておく。

ダフ屋行為と医師面会アポイントの問題

私の考えは「コンサートのダフ屋は賛成」「中国における医師面会アポイントのダフ屋は反対」「コンシェルジュ・ドクターは賛成」。なぜならば、金銭を支払っている対象が違うから。ただしそれはフロアとの議論に出た「娯楽か医療か」という区分ではなく、「参加権にお金を払うのか、行為にお金を払うのか」である。この視点はフロアの議論では出てこなかった。

コンサートの座席は、「そのコンサートを聞きに行く権利」を売っている。従って、コンサートのチケットを購入した人がそのコンサートに参加しなくても、コンサート運営者は(物販などの2次的な収入が減ることは別として)損をしない。つまり、コンサート運営者はチケットを売った時点で、それが観客だろうがダフ屋だろうがすでに商売は成立している。そのチケットが価格を吊り上げられて転売されたとしても、その価格でチケットを求める人がいる限り、それはダフ屋と観客の間に生じる別の商売であって、なんら問題はない。

一方、中国での医師面会アポイントメント転売については事情が違う。医者に支払うお金というのは、「医者に会うこと権利」について払うのではなく、基本的には「医者に診療を受け、治療してもらう行為」に対して支払われる。従って「医者に会うこと権利」そのものは無料のはずである。ダフ屋がアポイントメントを取得し、仮に誰にも売れなかったと仮定すると、病院は患者の来ない無駄な時間を過ごすことになり損をし、患者からは無料で手に入るはずだった医者に会う権利をダフ屋にはく奪されたことになる。

アメリカのコンシェルジュドクター制度は最初から「お金を払わない人は診察しない」わけだから、クライアントは年間5000ドルの契約で「医者に診察してもらう権利」を買っている。医師は契約費さえ払ってもらえれば実際に診察依頼が来なくても困らない(仮に年間5000ドルで30人と契約すると単純計算で年収150000ドル、今のドル相場1ドル=84円で計算すると1260万円)し、クライアントは「医者に診てもらえる安心」を買っているわけだから、診察を受けなくても損はしない。

私立高校の裏口入学

私の考えは「反対」。たとえ多額の寄付金で校内環境が整備されるとしても裏口入学は観取るべきではない。

1つ目の理由は「その寄付金が設備更新や教員増強といった形で実際の生徒に還元されるまでに時間がかかる」こと。この視点はフロアとの議論でも登場した。裏口入学によって不利益を被った受験生自身が、その寄付金の恩恵を受ける保証はない。

2つ目の理由は「仮に寄付金を元手に定員を増強したとしてもそれを維持できる保証がない」こと。一時の臨時収入でインフラを増強しても、その資金が途絶えれば継続が難しい。これを維持するためには学費を吊り上げるか、また新たな裏口入学者を募る必要が出てくるだろう。従って、長期的に見れば未来の受験生が損を被る可能性が高い。

公立学校ではなく「私立」なので、必ずしも私は入学者選別が学力のみによって行われる必要はないと思う。一芸入試で受験させる学校や、入札によって(つまり親が支払おうとする学費の金額)で決める学校があっても良いだろう。いずれの場合もそこに「参加する権利」は広く開かれているべきである。たった一人のために特例で裏口入学を認めるのは、その入学方法を使う権利が極めて限られていて不公平である。やるならば、「入学試験による入学者選別制度」同様、「寄付金額による入学者選別制度」を明文化すべきであり、そうでない限りいつまでも矛盾を抱えたままになってしまう。

男女産み分け

私の考えは「濫用されない限り賛成」。誕生産み分けが低価格化して進行し、男女比がおかしくなるような事態は避けなければならないが、その利用者が(十分許容できる程度に)少数ならば、選択肢としてあっても良い。

他国の事情は良く知らないが、少なくとも日本では妊娠中絶処置が一般に認められ、またかなりの頻度で実施されている。この妊娠中絶を決意するきっかけが広がっただけ、と見ることは可能だろう。

子どもは生まれた瞬間に法律上の人格を得る。望まない子どもが産まれ、後に愛されない子ども、さらには育児放棄や虐待の対象となってしまう子どもが産まれてきてしまうより、そのような痛ましい事態が起こらないような環境を整えることの方が重要であるように私は感じる。

全体の感想

参加者は様々な年代の人がいた。冒頭でサンデル教授が「学生は手を挙げて下さい」と言ったが、定員500名中、30名くらい手を挙げたように思う。

議論は大変刺激的で楽しかった。普段の講義より圧倒的に聴衆が少ないとはいえ、それでも発言できないのがもどかしく、もっと少人数で長時間の議論をしてみたいと感じた。

その一方、やはり英語でそのまま聞きとりたかったと思う。同時通訳が用意されてはいたが、周囲を見渡す限り通訳なしの英語でそのまま聞いている人がかなりいた。またフロアの発言者も、英語で発言する人が多かった。生物学などの専門用語が途中混じる事を考えれば、この講演を聞いて発言するにはかなり高度な英語力と語彙力が必要なはず。通訳に頼って聞いているとどうしても理解にタイムラグが生じてしまっていけない。英語を勉強せねば、と感じた。

サンデル教授の上手さは何と言っても「知識の引き出しの多さ」と「先見性の強さ」だと感じた。議論の流れを読み、考え得る発言を想定し、広い引き出しの中からもっとも上手に議論が進むような題材を提示していく。ただこの方法はきっと諸刃の剣で、サンデル教授自身は一切議論の「答え」を言わず、意見を押しつけることはしなかった。ちょっと教授には失礼な発言かもしれないが、進行が上手な分、上手な議論進行に乗って、知らないうちに自分の思考がサンデル教授の希望する議論に誘導されてしまう可能性もあると思った。


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