書評『アキハバラ@DEEP』(石田衣良)

 様々なハンディキャップを抱えながら社会をドロップアウトした若者六人が働くベンチャー企業、
「アキハバラ@DEEP」(以下@DEEP)は、新たに開発した人工知能型サーチエンジン「クルーク」を
リリースし、世界の注目を浴びると同時に、通信業界に君臨する大企業
「デジタルキャピタル」(以下デジキャピ)にクルークを狙われてしまう。
この作品は@DEEPが団結してデジキャピの攻撃に立ち向かう様を描いた小説である。
 勿論この作品はフィクションであるが、舞台が秋葉原という実在する場所に設定されて
いることはもとより、所々に現実に存在する商品名やメーカー名等が出てきたり、
またフィクションとされている部分であっても、容易にそのモデルとなった
物がわかる部分(例えば半沢航はいち早くオープンアーキテクチャのOS、トーテムを
開発した人となっているがこれは明らかに東京大学の坂村健氏が提唱したTRONプロジェクトを表している。)
があり、現実社会や、現に起こった事件などをモチーフとしたフィクションを
多く書く石田衣良の作風がよく出ている。

 この作品の特徴はいくつかあるが、特に独特なのは作品の語り手の設定である。
一見してこの小説はよくある三人称視点で作られているように見える。しかし作品を読むにつれ、
これは三人称視点ではなく、実はネットの世界に住むクルークが過去を
回想する形式で書かれており、クルークを中心とした一人称視点であることがわかる。
 逆を言えば、この作品においてはプログラムであるクルークが一つの人格として
取り扱われていることを示す。
 @DEEPは、吃音や潔癖症などの様々なハンディキャップを互いに理解し合いつつ、互いの専門性を
上手に組み合わせることで業務を行っている。その一方で、クルークもまた、
ジャンパー、ラウンダー、オポーザー、ネイバーと呼ばれる四つの単純化させた意識モデルを
組み合わせて一つの人工知能を構成している。
 両者は共に、仲間がまとまることで初めて仕事ができるのであり、個々がばらばらになった状態では
十分な能力を発揮できないだろう。そういう意味で、@DEEPとクルークは似ている。
 さらに、@DEEPのメンバーの呼称にも特徴がある。@DEEPのメンバーは皆、カタカナのハンドルネームで
互いを呼び合っている。登場人物の名前をカタカナで表す手法は石田衣良がしばしば用いる手法であり、
『うつくしい子ども』や『スローグッドバイ』の中でも用いられている手法である。
では、『アキハバラ@DEEP』でこの手法が使われる理由はなんであろうか。
実際に顔を合わせて仕事をしている仲間をハンドルネームで呼び合うというのは普通に考えれば
不自然である。しかし、この小説の語り手がクルークであることを含めて考えると、
人間がネットという虚構世界を覗き込むように、クルークの目からは我々人間の存在する世界
(これをネットに対してリアルと呼ぶ。)の方こそ虚構世界に見えるのではないだろうか。
クルークは、いわばネットとリアルの境界面をはさんで相対する存在ではないだろうか。
 この考えを中心に、「アキハバラ@DEEP」の登場人物の関係図を書いたのが図1である。
(アジタを除き)それぞれの関係がきれいに対称形となっていることが見てとれる。
 この作品が持つネットとリアルの相対関係を描いていることを示す好例がユイの存在である。
ページらがネットを介して接触していたユイは、実在する人間「結」であったり、
イズムの作った人工知能であったりした。しかし、ネットを介して接触する限り、
両者は「ユイ」というまったく等価な存在である。だから結の葬式シーン(本文八十頁)において、
イズムらはハンドルネームである「ユイ」という呼称を会話で用いている。
その一方でネット世界に理解のない結の両親は本名である「結」という呼称を用いている。
声に出せば同じ呼称をあえて用いるところに、作者の意図が見えるのではないか。
すなわち、ハンドルネームの「ユイ」とは、人間としての「結」の別名という意味だけでなく、
ネット世界の住人としての存在を表す記号でもある。@DEEPは「結」の仲介で作られた組織であり、
クルークは@DEEPが作ったものであるが、また同時に人工知能のユイから作られたものである。
両者は共に「ユイ」から産まれた子である、とも言えるだろう。
 ユイを@DEEP及びクルークの親、すなわち生を与えた存在とすれば、
両者に死をもたらそうとする存在はデジキャピである。代表である中込は、@DEEPを引き抜いて
手に入れようとすると同時にクルークを奪ってスコップという形で我が物にしようとする。
もし、中込の企みが成功すれば、デジキャピは現在パソコンショップやプロバイダという形で
持っている社会への影響力を広げ、ネット上の世界でもイニシアチブをとることができる。
しかしながら@DEEPはそれを拒み、一度デジキャピのものになりかけたクルークを、
デジキャピの社員である遠坂や火投を仲間として引き込むことで奪取する。
 ジョリージョンソン(以下JJ)と半沢航の関係もまた対称的である。
半沢は集まったばかりの@DEEPに秋葉原で接触し、
最終的にクルークの人格が確立する瞬間に立ち会う重要な人物である。これはいわば、
リアル側の存在を通じてクルークというネット上の存在にアクセスしているということである。
その一方でJJはネット上で話題となったクルークを通じて@DEEPに接触し、最終決戦では陽動作戦用の
催涙ガスを提供する重要な役割を果たしている。この接触方法は半沢とは逆に、
ネットを通じてリアル側の存在である@DEEPへアクセスしてきたことになる。
 ここまでに示した関係を図1によって確認すると、それぞれの関係は相互に対称となっていることがわかる。

 その一方で、この対称性を欠いた存在となっているのがインド人便利屋のアジタである。
アジタは@DEEPが業務を始めるための機材を手配するのはもとより、最終決戦においては
もっとも重要な武器となるスタンガン付きベストを提供し、陽動作戦用のビデオにも出演するなど、
大変重要な役割を果たしている。にもかかわらず、リアル側のアジタに対するネット側の存在は、
作品中のどこにも見出すことができない。これはいったい何を表しているのだろうか。
 本文に、次のような記述がある。

 「いいや、違う。東南アジアのあちこちの工場で余りものの部品を
寄せ集めで作ったコンピュータだ。
台湾か香港か、もしかするとインド製。(後略)」
 「もうコンピュータはどこかの大企業が市場を牛耳るなんてもんじゃない。
こいつらは最新のマシンだけどスクーターみたいなローテクなんだ。主要パーツさえ買ってくれば、
どんなに貧乏な国だってこれくらいつくれる。裏通りのコンピュータ製作所が世界には
うじゃうじゃしてるのさ。」(共に本文五四ページ)
 すなわち、インドを含む発展途上国は、コンピュータ本体を製造供給することは容易であるが、
裏を返せばネット市場を含むソフト市場に参入することは難しいと言うことを
暗示している台詞ともとれる。設備は提供できるがネットの世界には参加できない、
これはまさに、この作品におけるアジタの立場と一致する。
 以上の検討を総括すると、この作品は現在のネット社会の縮図となっているように思える。
今やネットワークは単なる通信手段の枠を超え、
幾多のコンピュータと通信網の中にネット社会という独立した世界を作り出した。
ネットユーザーは現実の人間とは別にネット社会の中に別個の仮想人格を作り上げ、活動している。
そして、インターネットというものは、今やデジキャピのようにある限られた企業がその利益を
独占するのではなく、むしろリナックス等に代表されるような無償の活動がその中心を担いつつある。
@DEEPのような若い人たちがネット社会の中心となり、JJのように国や立場を越えての
コミュニケーションが容易にできるようになる。
 その一方で自ら積極的にネット社会に関われない人も存在する。
一般にディジタル・ディバイド(情報格差)と呼ばれる現象であるが、
その象徴として、まずは半沢航が登場する。半沢は過去に自らトーテムというシステムを開発し、
コンピュータのエンジニアとして活躍した。にも関わらず@DEEPと最初に接触したのは秋葉原の街角、
しかもその理由は「新しい秋葉原の案内」(本文百四四ページ)であるし、
クルークとの接触もたまたまその場に居合わせただけ、という実に消極的な形で成されている。
これは、たとえ過去にどれほど優れたコンピュータエンジニアであっても、
現在のネット社会についてくることはできないという、いささか皮肉とも取れる象徴であり、
裏返せばネット社会が驚異的な速さで進化している事を表しているのではないだろうか。
(事実、半沢は自分について「通信屋だった」(本文一四四ページ)と控えめな表現をしている。)
そういう意味で半沢航は年代差という人的側面に起因するディジタル・ディバイドの象徴と言える。
アジタの映った映像を見せながらボックスが言う台詞、「ヒンズー教徒のインド人だって、
イスラム教徒のイラン人だってこうしちゃえばあんまり変わらないからな」(本文四五二ページ)
に見られるように、アジタの存在はインドに限らず、(少なくとも東南アジア圏の)
発展途上国全般をイメージさせるものであろう。だとすれば、アジタのようにコンピュータ本体を
いじることはできても、ネット社会の中には決して参加できないというアジタの立場は、
インフラが整わないが故にネット社会に参加することができない発展途上国全般を象徴する
存在ではなかろうか。そういう意味では、
アジタは国力という社会的側面に起因するディジタル・ディバイドの象徴と言えるであろう。
逆に、インターネットを通じて@DEEPと接触し、またインターネットコンテンツの批評等を行うJJが、
コンピュータ技術で世界を独走するアメリカ人であり、しかもアメリカの国力を象徴する軍に
所属してるというのも皮肉じみていて興味深い。
 本稿では登場人物の人間関係を考察の中心に据えることで、この小説がネット社会の縮図である
ことを示した。この作品は、考察の中心を他に移すことでもっといろいろな考察を広げることが
できると思う。@DEEPのメンバーは何故それぞれ異なるハンディキャップを背負わねばならなかったのか、
視点をクルークの一人語りにしたのはなぜか、等々。
 しかしいずれにせよ、本稿における考察でこの作品が極めて緻密に織り上げられた物であることが
よくわかった。文庫版裏表紙の解説には「長編青春電脳小説」と表現されているが、
この作品は青春小説の枠を超え、社会派小説とも言うべき内容を備えているように思う。

添付資料


図1.アキハバラ@DEEPの人物相関図


参考文献

『アキハバラ@DEEP』(石田衣良 文春文庫 2006年)

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