はじめに〜ホームページ掲載にあたり〜

この文章では、いくつかのウェブページから図版を利用したり、。
いくつかの文献の文章も参照している。
これらは著作者の許可をとっておりませんが、著作権法上認められた
"引用"にあたると判断し、図版等もそのまま掲載しています。
引用部分に関する著作権は個々の作者に帰属しており、N.Y.Cityはこれを尊重しております。 ご了承下さい。


アニメオタクは電気羊の夢を見るか

〜Rozen Maidenに見る新たなロボット観〜

2006/1/18 提出
※ホームページ掲載に際し、
 若干の加筆訂正を行った。

 Rozen Maiden(以下ローゼンメイデン)は、引きこもりで奇妙な商品をネットで探しては
通販で注文するという、少々困った趣味を持った少年ジュンが、ひょんな事からローゼン
メイデンと呼ばれる真紅他、七体の生きたドールに出会うところから話が始まる。
ぜんまいを巻いた人間を下僕(ミーディアム)とする契約をしないと十分な力を発揮出来ないドールはジュンと
契約を結ぶ。ジュンがドール同士の戦い(アリスゲーム)に巻き込まれていきながら
徐々に自らも心を解きほぐし、引きこもりから脱出していこうとする様を描いた作品である。
 私はこの作品を読むうち、ストーリーに「ロボット」「アンドロイド」「サイボーグ」と
いった表現がどこにも明示されていないにも関わらず、そのストーリー内容はロボット作品の歴史から
見いだせる、ロボット作品の特徴をかなり多く含んでいることに気がついた。
 すなわちこの作品でのドールという存在は、人工生命体という意味で本質的にロボットと相違なく、
むしろ作者は無意識のうちにドールという存在に、日本人の持つロボット観を投影しているのでは
ないかと考える。その一方でローゼンメイデンは、いわゆるオタク層に人気の出た「萌え系」作品と
しては今までにない特徴を備えている。この特徴は何を意味するのか、検討する。

『アンドロイドとしての存在』

 そもそも、この作品における「ドール」という存在はどのように位置づけられるのか。
 ビスクドールというものは人の形をしているため、金属質な構造体である狭義のロボットの
定義には当てはまらない。むしろサイズこそ違えど、人間とそっくりな外見をしている所から、
アンドロイドとして考える事が妥当であろう。そう考えるとゼンマイを巻かれた真紅がジュンの
目の前で立ち上がり、戸惑うジュンに向かって歩いてくるシーン(Bib01.p.19〜21)はある意味で
「メトロポリス」のアンドロイド登場シーンや、「鉄腕アトム」でアトムに命を吹き込む場面に類似している。
 その一方で単にアンドロイドと言い切れない部分もある。通常の人間と大きさが違う点はもちろんだが、
関節部分はドール特有の球体関節をしており、ジュンもこの点に関し戸惑うシーンが描かれている。
(Bib.01 p.48,49)このシーンに限って関節を動かす【ギッ】という音が象徴的に書き込まれている。
従って、この先の話を論じるにあたり、ドールの存在を「アンドロイド」にかなり近い存在、
すなわち準アンドロイドという位置づけと考える。(図1参照)

『ドールはなぜ戦うのか』

 ローゼンメイデンを作った人形師ローゼンは錬金術を用いて命の源ローザミスティカを作り上げた。
(Bib.05 p.156〜158)ローゼンの心の中にのみ存在する夢の少女「アリス」を具現化するべく、
ローザミスティカを七つに割って七体のドールを作るが、いずれも理想には及ばず、
悲観して姿をくらましてしまう。(Bib.03 p.53〜55)この時、七体のドールはアリスに羽化するため
互いに戦い、競い合う宿命を負った。アリスに羽化した者だけが、生みの親であるローゼンに再会する
ことが出来るという。
 ローゼンの「自己の持つ理想の女性像を具現化する」行動はまさにピグマリオン・コンプレックスに
他ならない。理由は違えど、自ら作り上げた生命体を放り出して姿をくらます展開は、
「フランケンシュタイン」の中にも見られた。
 アリスゲームでは、敗者は原則としてローザミスティカを勝者に奪われる。
すなわち、命の源を奪われたドールは二度と動き出すことはなく、実質的な死を意味する。
七体のドールの中には双子として創り出されたドールもあり、アリスゲームの始まる前には大変仲が
よかった。しかし、アリスゲームが進むにつれ、その二人の仲すら決裂し、互いに敵となってしまう。
これはこの戦いには常に仲間同士の対立という物悲しさがつきまとっている。
人工生命体が、人工生命体を殺うプロセスの中で、その罪深さや悲劇性を描き出した
「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」及びこれを映画化した「ブレードランナー」
に通じるストーリー展開であろう。

 ピグマリオン・コンプレックスは、人形やロボットなどに理想の女性像を求める事であるが、
オタク文化が恋愛資本主義社会から離脱した人々が架空世界に理想の恋愛(=純愛)を求めたもの
であるとの説(Bib.07 p.80 l5〜)と比較すると、実はオタク文化とピグマリオン・コンプレックスは
とても近い関係にあることが伺える。オタク文化を構成する作品は現実世界において実現し得ない
純愛関係を架空世界に求めたものであるから、その架空世界においては人間が主人公にあるのが
自然であるし、事実今までの作品は(一部ロボットを含むものがあっても)そうであった。
しかしローゼンメイデンでは主人公をドールにすることで、わざわざ「架空世界に架空恋愛を作る
」という二重構造を展開していることになる。

『徹底的人間排除』

 この作品の物語の構造上大変興味深いのは、人間が排除されている傾向があることである。
第五巻までに登場した主なキャラクターの中には人間の男性は3人しか出ていない。
人間の女性は4人(のり、巴、めぐ、みっちゃん)いるが、いずれも物語の根幹に関わる
キャラクターではない。中にはほぼドールだけで成り立っている回もあるくらいで、主人公である
ジュンすら排除が可能なくらい、この作品はドールがキャラクターとして重要な位置に立っている。
このような「非人間属性」キャラクターを中心においた作品は珍しい。 アンソロジー(Bib.06)にもドールのみの話が存在する。

インターネットで調べても、読者の「萌え」の対象も圧倒的にドールが占めている。
 インターネット上で催されたアニメキャラクターの人気投票、「アニメ最萌トーナメント2005」
を例にとると、ローゼンメイデンから、七人のキャラクター(内、ドール五人)がエントリーし、
全員が予選を突破、本戦に出場している。本戦出場率100%を記録したのは、ローゼンメイデンだけ
であった。また、平均得票率も8.93%で、次席のまほらば(平均得票率5.33%)を大きく
引き離している。本戦においては、人間であるのり、巴は共にブロック決勝にて敗退する一方、
ドールである真紅、蒼星石は決勝トーナメントに進出、真紅は三位、蒼星石が二位という結果に
なっていて、ドールの人気の高さが伺える。

 なぜ、主たる萌えの対象がドールに集中するのか。作者は明らかに作品を作る上でドールを
主たるキャラクターに置いている。ドールへ集中するニーズとはなんなのだろうか。「萌えの研究」
では人間ではない萌えの対象≠ニして、PCゲーム「ToHeart」に登場するマルチという
メイドロボットを引用し、オタクが人でないものに惹かれている可能性を示唆している
(Bib.08 p.110 l1 )。同時に、オタク文化の根幹をなす美少女ゲームにおいて、
ハーレム幻想が根底にあるとの見解も示している(Bib.08 p.123 l8及び脚注)。また、萌えの
本質的構造として「究極の自己犠牲」という構造を提示している。(Bib.08 p.110 l3〜)
この説に従えば、ミーディアムという倒錯した主従関係の中、まさに自らの魂(=ローザミスティカ)
をかけて戦うドールの姿は自己犠牲そのものであり、そのようなドールが何人もいる物語の構造は、
美少女ゲームの要所をかなり象徴的に取り込んだ作品と言える。しかも、ドールを用いる事で、
人間でないものによるハーレムという斬新な可能性を提示した作品といえる。(Bib.08 p.215 l9〜)

 「萌える男」においてもまた、ToHeart を引用し、「全ての人間がマルチのような優しいメイドロボ
を所持することができれば、世界中から争いはなくなる」という思想を示している
(Bib.07 p.148 l9 )。同作品では、萌えとは、恋愛資本主義社会からドロップアウトした人が自分を
自分で癒すために発生した行動であるとしている事を考えると、この一文もまた、
オタクがロボットに惹かれていく傾向を示している。

 ちなみに、インターネットの世界ではだいぶ前から「擬人化」という形で非人間属性の
キャラクターが定着している。 例えば、ケンタッキーのビスケットを擬人化した
「ビスケたん」(図2)や、パソコンのOSデザインを擬人化した「OSたん」(図4)、
鉄道車両を擬人化した鉄道擬人化(図3)等である。これらはONLYイベントが開催されるなど、
ファンの規模もそれなりに大きく、非人間属性キャラクターの定着具合が伺える。同時に、
これほど擬人化キャラが定着したということは、そこに相応のニーズがあるとも考えられる。

『男性性からの解脱』

萌える男では「萌えは男性性からの解脱運動」という見解も示している。オタク向けゲームとして
人気を得た作品、「シスタープリンセス」では作品が兄一人、妹12人という極めて偏った男女比で
構成されている。原作(誌上ゲーム)やゲーム版では兄が一人称となっているのに、そのノベライズ版
では妹が一人称になっていることに注目し、読者が感情移入するのは同性の兄ではなく、むしろ異性
である妹の方ではないかと考えている。この理由についてはユング的に「自らの内面世界にアニマを
求め、アニマと一体化することで癒しを得ることが萌えの最終目的」であるためとしている
(Bib.07 p.151 l11)。

 この考えをもう少し一般化して、「読者が感情移入するのは必ずしも主人公ではなく、
萌えの対象そのものである」と考えると、ローゼンメイデンのストーリーがドール中心で成立している
理由が説明できる。すなわちローゼンメイデンにおいて、登場する人間はストーリーを構成する上で
やむなく必要な存在であり、本質的に萌えの対象となるドールのみでストーリーが
進行していると考えられる。

 萌えの研究ではジュンを鬱屈キャラとカテゴライズし、エヴァンゲリオンのシンジと
同類のキャラクターという見解を示している。(Bib.08 p.216 l9 )しかし、シンジはストレスを
ひたすら抱え込みながら、あれこれ考えることでそれを解決しようとして破滅の方向に向かった
のに対し、ジュンはストレスがある一定量に達すると、思考を麻痺させてしまうタイプであることに
着目。ジュンの行動は、とても自然な、等身大な行動であり、オタクである読者が思春期時代に経験
したものに近いため、共感しやすいとしている。

 つまりこの作品は、まずジュンの極めて人間的なキャラクター性で読者を共感させ、
倒錯した形ではあるがジュンに救いの手をさしのべるドールへと感情移入の矛先をシフトさせることで
多くの熱狂的なファンを作ったのではないだろうか。ジュンの鬱屈キャラは序章の始め十ページほどを
読めばわかるようになっている。そこから徐々にジュンがドールに心を許し始め、他の主要なドールが
出揃い、先にも示した、ジュンが球体関節に戸惑うシーンを描いて、全て主要な世界観がしっかり
読者の中に構築された上で、ドール中心の話がスタートしている。

『平行世界』

 ストーリーには現実世界だけでなく、「nのフィールド」と呼ばれる異空間が登場する。
この空間には様々な世界が存在し、SFでいう所の平行世界に近い構造となっている。特に第0世界と
呼ばれる世界は現実世界における行き場のない思念が生まれては消えていく空間とされている。
また、無意識の海と呼ばれる空間では、様々な人の夢の中へ入ることも出来る。nのフィールドへ
入るためには、まず9秒前の白と呼ばれる空間に入る必要がある。ここでは自分の持つ自分自身の
イメージを持っていないと、自分の姿ははっきりしない上、行き先のイメージをしっかり持って
いないと、どこか変な空間に飛ばされてしまう。作品の中では、このnのフィールドに入るためには
鏡もしくは水盆の中を通っていくか、誰かの夢を経由する必要がある。もとより鏡は呪術的な儀式
にはよく用いられる道具であるし、ご神体として扱われることも多い。また、水に写る自分の姿
に恋をするギリシャ神話のナルキッソスの話を連想すると、鏡も水盆も自分の姿を写し見るための
道具である。さらに自己の内面を判断するのにフロイトは夢を用いた。
このように考えると、nのフィールドに入る入り口は、全て自己を見つめるための道具である。
そこからnのフィールドを経由して他者の内面に入っていけるのは興味深い。

 以上を総合して、私は次のような見解を提示する。
 
 ローゼンメイデンにこれほどの人気が集まったのは理由がある。それはドールという人工物を
主人公とする作品にニーズがあったためである。従来のロボット作品では、ロボットは主として
ピグマリオン・コンプレックスの象徴として扱われてきた。すなわち、現実において満たされない
理想の女性像を自身の手で作り出した物として存在した。一方、旧来のオタク作品は現実世界に
存在しえない理想の恋愛関係を架空世界に構築するもの、いわば架空恋愛だった。ゲーム、マンガ、
小説など、メディアを問わずオタク文化は発展の一途をたどっている。しかし、そうして架空世界の
規模が拡大していくにつれ、架空世界での恋愛対象を人間に限る必要がなくなった、あるいは
人間以外の恋愛対象にニーズが生じてきたと考えられる。人間相手の架空恋愛にいささか食傷気味
になった人もいるだろうし、そもそも人間を萌えの対象として見ていない人もいるかもしれない。
いずれにしろ、現実世界において実現し得ない恋愛を架空世界上で実現するのがオタク作品なら、
その架空世界が現実世界と同じ倫理感や物理法則で縛られる必要はない。事実、オタク作品には
現実世界では犯罪となるロリータ系や陵辱系のものも今まで数多く作られており、
ヒットした作品も多い。そのような中で、架空世界でしか実現し得ない恋愛対象として一躍登場
したのが、非人間属性のキャラクターであり、その属性を前面に押し出した商業作品として出現し、
成功したのがローゼンメイデンではないだろうか。現実世界の恋愛を架空世界へと投影し、
作られた写像が旧来のオタク作品なら、ローゼンメイデンは現実世界の恋愛を切り捨て、
架空世界で完結した関係という意味で、現実世界での恋愛の対極に位置する。(図5参照)

 ジュンは架空世界に住まうオタクの象徴として描かれ、現実のオタクがネットやマンガに
のめり込んでいくのと同じように、ジュンはnのフィールドの住人(ドール)に傾倒していく。
オタクが架空世界と現実世界を行き来するのと同じように、ジュンも現実世界とnのフィールドを
行き来する。と同時に、ドールも現実世界とnのフィールドを行き来する。ジュンに感情移入した
読者は、ジュンというオタクの象徴を通じてドールへと感情移入の矛先をシフトしていく。
この時読者はすでに架空世界に没頭しており、現実世界での拘束から開放された形で架空世界を
楽しむことができる。

 オタクには大きな反響を呼んだローゼンメイデンも、一般にはいまいち浸透していない理由は、
ここにあるのではないだろうか。ローゼンメイデンの持つこの特徴は、旧来のオタク作品に対して
ちくちくと積もっていた不満と、それに対応するニーズを持った人には有効に作用するが、
今までオタク文化にあまり触れていなかった人にとってはそのニーズがないために、いまいち
その特徴が伝わりにくい上、主人公であるジュンの性格がかなり特殊な物であるため、なかなか
共感を呼びにくいという点も指摘できる。

 よってローゼンメイデンは、ドールという極めて繊細な存在を上手に利用した、
オタクのために描かれた作品であると言える。

[Fin]




添付資料


図1.ロボット、アンドロイド、サイボーグ、人間の関係とドールの位置づけ


図2.ビスケたん(出典:Bib.14)


図3.鉄道擬人化 500系のぞみ(出典:Bib.13)


図4.OSたん(出典:Bib.15)


図5.オタク系作品と恋愛関係の位置づけ


参考文献、サイト一覧

参考文献に関しては
(Bib.[番号] p.[ページ] l[行])
の形で本文中に引用箇所を示した。

*参考文献*

[Bib.01] 「ローゼンメーデン Rozen Maiden 1巻」 幻冬舎コミックス PEACH-PIT:作 2005年
[Bib.02] 「ローゼンメーデン Rozen Maiden 2巻」 幻冬舎コミックス PEACH-PIT:作 2005年
[Bib.03] 「ローゼンメーデン Rozen Maiden 3巻」 幻冬舎コミックス PEACH-PIT:作 2005年
[Bib.04] 「ローゼンメーデン Rozen Maiden 4巻」 幻冬舎コミックス PEACH-PIT:作 2005年
[Bib.05] 「ローゼンメーデン Rozen Maiden 5巻」 幻冬舎コミックス PEACH-PIT:作 2005年
[Bib.06] 「ローゼンメイデン アントラクト」 幻冬社コミックス 伊藤嘉彦:発行 2005年
[Bib.07] 「萌える男」 筑摩書房 本田透:著 2005年
[Bib.08] 「萌えの研究」 講談社 大泉実成:著 2005年
[Bib.09] 「動物化するポストモダン」 講談社 東浩紀:著 2002年

参考サイトに関しては
(Bib.[番号])
の形で引用箇所を示した。

*参考サイト*

[Bib.10] 「アニメ最萌トーナメント2005」 http://lovely.kakiko.com/animemoe2005/index.html
[Bib.11] 「アニメ最萌トーナメント2005データサイト」 http://www.geocities.jp/animesaimoe/
[Bib.12] 「OSたん保管庫」 http://nijiura-os.hp.infoseek.co.jp/
[Bib.13] 「鉄道擬人化 Rail-G Station」 http://rail-g.net/
[Bib.14] 「monta tokita homepage」 http://www.tokitamonta.com/
[Bib.15] 「OSたん保管庫2(仮)) http://www.futaba-ostan.net/os_archive/index.html

お話の部屋に戻る
Topに戻る