「水の泡、儚く。」

ロンの視線がつい、と揺らいだ。
「ロン?聞いてる?」
例によって二人分の本を抱えて廊下を歩いていたロンと、その恋人。
その恋人....勿論、ハーマイオニー・グレンジャーその人。
「あぁ、うん。聞いてるよ。」
ハーマイオニーも、ロンとつきあって長い。
慌てて答えたロンの声がごく微妙に震えていたのを、ハーマイオニーはしっかりと聞き取った。
「どうしたの?」
「んっ...いや、その。」
もごもごとばつの悪そうにするロン。
「なに?ちゃんと言いなさいよ。」
「え、うん。 さっきすれ違ったペネロピー、最近かわいくなったなぁ、と。」
盛大な音。
思わずこぼれ落ちる本。
思わずしゃがみこむロン。
ロンの頬が、見る間に赤くなっていく。
誰の目から見ても、ハーマイオニーに叩かれたとしか見えなかった。
「...懲りてないわね、ロン。...」
ハーマイオニーは、手早く自分の本を拾い上げると、それだけ言って
勝手にいってしまった。
その後ろ、ちょっと距離をとって様子を見ていたハリーが、視線をはずしてやれやれと首を振る。
その視界に、いくつか後ろから、視線を感じた。
振り返ると、そこにはグリフィンドールの同僚たち。
視線の先は、ハリー。
誰からともなく、視線がつい、とロンの方に向けられ、またすぐ戻る。
『いけよ。』
無言のまま、視線に乗って届けられる言葉。
ハリーは、落胆の息を吐いた。
「はいはい、わかりましたわかりました。 ロン救出班、只今出動いたしますよ。」

ロンの頬は、見事なまでに、紅葉の模様がついていた。
泣いてはいない。ただ、視線は動かず、焦点はてんで合っていない。
ただ、固まっていると言った感じ。 このままでは、涙目になるのも時間の問題とみえた。
「はい、ロン?立って。 とりあえず部屋まで歩くよ。」
よっこらしょ。
そんな感じでロンを抱えあげ、歩かせる。
思考回路は、フリーズ状態。
平たく言うと、放心状態。
お荷物同然のロンを、ハリーは押したり引いたり、なだめたりすかしたりしながら、
なんとか部屋まで連れていく。

窓から太陽の光が差し込む。
傾きかけた太陽の光は直進性をもち、槍のように窓から反対の壁を突き刺す。
槍からはずれた所には、やや暗い影が落ちる。
それはロンの心境を示すような部屋。
放心状態からはやや回復したものの。まだ口は開かない。
「ロン、今日のは君に責任があると思うよ?」
ぽつりと、ハリーが空気に言葉を乗せる。
「人の関係にとやかく言うほど、野暮じゃないつもりだけど。」
乗せられた言葉が、積み重なる。
積み重なった言葉が重さを増す。
重さを増した言葉が、心を潰しにかかる。
15分ほど経っただろうか。控えがちな言葉の投球を振り払うように、ロンは立ち上がって。
顔をあげるハリーを見ることもせず、何も言わずに、
部屋を出て行った。

ハーマイオニーもまた、口にはださないものの、
言葉だけがぐるぐると体の中を駆け巡っていた。
その言葉は、ロンへの怒りだったり、自分の後悔だったり、懺悔だったり。
ある時はふと、まるで違うことを思うのだけれど、またすぐに引き戻される。
自分の本もデスクに放り出し、不貞寝のようにベッドに倒れこんで。
自分の匂いの染み込んだ枕に顔を埋めて。
少々の息苦しさも感じるけれど、そんな事は気にならない。
自分は素直に怒ればいいのか、泣けばいいのか、笑って済ませればいいのか。
どうにも判断がつかない。
シェークスピアは言った。
〜書を読んでも、話や歴史で聞いたところでも、真実の恋というものは、
決して都合良くいったことはないらしい。〜
まったく、皮肉な言葉にしか聞こえない。
苦しみを、経験した人には、皮肉にしか聞こえない。
事実、これは皮肉だ。恋が皮肉で語られる事がおおいのは、
恋そのものが皮肉の固まりなのかもしれない。
言葉の電気信号が神経を走り回る。
その振動で、すこし、目に涙がにじんだ。
「ロンの、ばか。」
唇が、動く。
「ロンの、ばか。」
唇が動く、小さな音が漏れる。
「ばか。ばか、ばか。」
これで心がなだめられるかはわからないけれど。
ハーマイオニーはしばらく、そうつぶやいていた。

水を洗面台に溜め、一心に顔を洗う。
何かに取りつかれたように、ロンが顔を洗う。
冷たい水は頬を削ぎ落とすような感覚を顔に与え、それでもなお、
ロンは水をすくい取っては顔に当てた。
これは、禊(みそぎ)、purificationだ。
ロンはそう自分に言い聞かせた。
もう、何を考えたらいいのかわからない。
どこを是正したらいいのかわからない。
自分のすること全てが失敗のような気がして。
そのままだと、自分の頭がオーバーヒートする。
...ハーマイオニーは、こんな悩み方することもないだろうに。
いつだって、冷静で、言うことは的を得ていて。
それが...........悔しくて。
ロンは手を休め、洗面台に手をついた。
半ば酸欠状態の体が、酸素を求めて空気を吸い込む。
酸素を巡らそうと、心拍数が上がる。
4度の深呼吸の後。
ロンはまだ体が酸素を欲しがっているのも構わず、水の中に顔をつけた。
刺すような、冷たさ。阻まれた呼吸。
水面に、泡が浮き上がった。
ロンは言う。
‘I can't live my life without you.’
放った言葉は、泡沫となって消える。
(…どんなに恥ずかしくて言えない言葉だって、水の中なら誰も読めない泡になる。…)
ロンを息苦しさが襲う。
(…この泡、ハーマイオニーにだけ読めれば…いいのに…)
「ロン!!」
突然後ろから叫ばれた自分の名前に、ロンは慌てて顔を上げた。
顔を上げてから、息を吸おうとして。一瞬、早かった。
「ぐっ、げほっ!」
思いきり吸い込んだ水を吐き出そうと、苦しい呼吸の中でせき込む。
「ロン、何やってるのさ! ずっと帰ってこないから心配で...」
ひとしきりせき込んで、ロンの息が段々と元にもどりつつある。
「あぁ、ごめん。 トイレにいて、目にごみが入ったから流そうとしてたんだ。」
我ながら、苦しい言い訳だと、思った。
「あぁ、もう。なら良かった。 僕はてっきり、そのまま死ぬつもりじゃないかと思ったよ。」
大真面目にいうハリーを、ロンは数瞬見つめて、吹き出した。
「おい、ハリー!いくらなんでも洗面台で自殺はできないだろ!」
空笑いの様な、本当の笑いの様な。
いずれにしろ、無理にでも笑ったことで、少し、心が軽くなった気がした。
「さぁ、ハリー。戻ろうか。ごめんよ、心配かけて。」
ドアに手をかけて、開こうとするわずか前に、ハリーは横から手を延ばし、ドアを開けた。
肩透かしを食ったロンに、ハリーが、小さく言った。

…今なら、間に合うぞ。…

鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたロンも、この言葉には、動かざるを得なかった。
1秒後には、ロンはハリーの視界から、消えていた。
「まったく、柄にもないことをさせてくれるよ。」
そう言いながら、あながちハリーも嫌な気はしないのだった。

コツコツと、控えめな音でドアが叩かれる。
疲れてしまったのか、うとうとと眠りかけていたハーマイオニーがはっと目を覚ます。
「ハーマイオニー?僕だ、開けてよ。」
聞き慣れた声の主に思い当たり、ハーマイオニーは慌ててしわのついた服を軽く直すと、
少し乱れた髪を、手櫛で整えた。
静かに、ドアが動く。
「ロン?」
「入れて、お願い。」
ロンの声が、違う。
目の前にいるのは、まぎれもなくロンで、聞こえるのはロンの声なのだけれど。
声の色が違う。 確固たる意思をもった声。
決して冷たくはない。でも、何か強い心がある。
ハーマイオニーはそのまま、身を横に引き、道を開けた。
「ありがとう、ハーマイオニー。」
ロンは、何かを伝えに来てくれた。ハーマイオニーは自信を持ってそう思えた。
椅子に座ると、ロンは少し視線をはずして、深呼吸をした。
「...怒った...よね。」
「私の目の前で言う台詞じゃあないかもしれないわね。」
「...ごめん。...」
「人の思想は各々だけど。どうもあなたは八方美人の気があるみたいだし。一歩間違えば浮気症よ?」
「...人の良いところをすぐに見つける、人を見る目のある人間だと思うけど。」
「それは言い訳でしょう!」
ハーマイオニーが語気を荒げた。
「これが僕の性格だと思っていたけどね。」
「だからって、デリカシーがなさすぎるわ!私の前で言うことじゃないでしょう!」
「...っ、じゃあ。...」
負けじと、ロンもわずかに声を強める。
「何よ?」
うつむき加減だったロンの目が、位置をリセットされ、ハーマイオニーの目を見る。
「この目と性格があったからこそ、君を見つけられたと思うんだけど。」
長々とした言い訳が続くかと思っていたハーマイオニーが、息を飲んで止まる。
「....っ、な.....」
今度はハーマイオニーがフリーズする番だった。
椅子から動けないハーマイオニーに、ロンが近づく。
「一度しか言わないよ。」
ロンの顔が、ハーマイオニーの横に近づく。

“I can't live my life without you.”
(〜君なしで、僕は生きて行けないよ。〜)

頬が、紅に染まる。
ハーマイオニーも、ロンも。
ロンのほうは自分の言った台詞の恥ずかしさに耐え切れないのか、目線をそらす。
どのくらいたっただろうか。
ハーマイオニーの目から、滴がひとつ滑り落ちた。
頬を伝うその輝きに気付き、ロンが顔を上げる。
今日久しぶりに見た、ハーマイオニーの笑顔だった。
「ありがとう、ロン。」
ロンの心に沸き上がった想いの泡は、こらえ切れずにはじけた。はじける音は、ちゃんと伝わったみたい。

水の泡、儚く。 Fin.

後書き
珍しく、シリアス路線で。
でも、結局は甘味料添加なのね(汗)
むしろ、こういう小説のほうが後から後からじわじわ甘味が効いてきたりします。
思いっきりベタベタな小説を砂糖とするなら、こちらはサッカリン?
発癌性、ばっちし、みたいな。(汗)

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おまけ 〜雰囲気を壊したくない方は、例によってさっくり無視でお願いします。〜

一方。
獅子寮談話室では、盛大に(でも女子寮の部屋には聞こえない程度に)
見事に嵐を制して帰ってきた英雄ハリーを称える会が催されていた。
「よくやった、ハリー!」
「君ならやってくれると思ったよ!」
「うん、ハリーを見込んで正解だった。」
それぞれ勝手に感想を述べる、傍観者達に、ハリーは言った。
「見込んでくれるなら、手伝ってもらえたらどんなに楽だったか。」
「何を言うんだ、ハリー!」
前から出てきたのはフレッド。
「そうだぞ、我らが獅子寮の英雄に華を持たせようと、皆が満場一致で議決した結果じゃないか。」
その後ろから出てくるのは、もちろんジョージ。
「がんばったハリーに皆から称号を与える事が決定したぞ! ジョージ、あれを。」
「よし。」
ジョージは後ろ手に持っていた洋皮紙を取りだし、朗々と読み上げた。

『ハリーポッター殿。 貴殿の功労を、我々グリフィンドール寮生一同は高く評価し、
多大なる感銘を受けた。 ここに、敬意と感謝の意を表し、『ロン救出 名誉隊長』の
称号を授ける。 以後、ロンの身辺問題に対する一切の判断並びに対処は貴殿の責任をもって
務めるとし、われわれ一般の寮生はそのフォローに回るものとする。』

「ちょ、ちょっと待って!それ、体の良い厄介払いじゃないか! って、うわ!何金縛り魔法かけてる?!」
あわれ、金縛り魔法をかけられ、身動きのとれなくなったハリーは、
そのままピンバッジをローブに留められ、以後何の抵抗もできない状態のまま、
授与式を終えられたとさ。

お...わ...り...?